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東京高等裁判所 昭和26年(う)1235号 判決 1952年1月31日

控訴人 被告人 不二蚕糸株式会社 上野秀喜

検察官 宮本多賀雄 横川陽五郎 佐藤豁関与

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人等の弁護人清瀬一郎作成の控訴趣意書(同弁護人作成の昭和二十六年七月二十八日附「控訴趣意書中訂正書」によつて訂正されたもの)並びに被告人等の弁護人竹上半三郎、同林逸郎、同渡辺靖一及び同伊藤英夫共同作成の控訴趣意書(第十点については、同弁護人等作成の昭和二十六年七月二十八日附「弁駁書」第二によつて補充されたもの)に記載してあるとおりであり、その答弁は、検事宮本多賀雄作成の答弁書に記載してあるとおりであるから、ここにこれを引用し、それぞれ、次のように判断する。

弁護人清瀬一郎の論旨第一点について

法人税法第九条所定の総益金及び総損金の意義については、国税庁長官の通達のように、前者は、法令により別段の定のあるものの外資本の払込以外において純資産増加の原因となるべき一切の事実をいい、後者は、法令により別段の定のあるものの外資本の払戻又は利益の処分以外において純資産減少の原因となるべき一切の事実をいうものと解すべきことについては異議はない。又かゝる税法の規定の解釈については、民法上の法理に偏することなく、経済上の見地から妥当な解釈を施すべきことも当然である。しかしながら、被告会社が本件事業年度において繭及び生糸を日本蚕糸業会以外にいわゆる横流販売を行つたため、同会に売り渡すべき同年度分の責任生糸量に不足を生じ、次年度においていわゆるルート外の闇繭を購入してこれを補填する必要が生じたからとて、かかる事実をもつて所論のように被告会社の本件年度の総損金中に算入すべきものと解することはできない。けだし、闇繭の買入、その加工及びその製造生糸の売渡は、あくまで次年度以降のことであつて、本件年度においては、未だ闇繭の購入契約はされていないのであつて、その代価を決定し得ないものであり、該闇繭の購入及び加工並びに生糸の納入販売により幾許の損益を来たすかも知ることができないものであるから、いかに経済上の見地から解釈しても、税法上かゝる損益の確定し得ないものを本件年度の損金に計上すべきものとは解し得ないからである。所論のように、次年度以降に購入すべき闇繭の価格を少くも被告会社が本件年度において横流した繭の売値と同額と見ることは、合理的根拠を欠く単なる一応の推測に過ぎないものであつて、これにより、本件年度において、現実に被告会社の純資産減少の原因たるべき事実が生じているものと解することはできない。また、被告会社は、本件の繭又は生糸の横流に当つては、該物件の代金を取得すると共に該物件の所有権を喪失しているのであるから、本件のいわゆるB資産に顕れた被告会社の本件年度における右物件の横流による利益金を被告会社の該年度の所得に算入することは、対応する収益と支出とを同一年度に計上処理することとなるのであつて、これ以上同年度において次年度以降に生ずべき所論保有繭の補填に要する費用を勘案する要を見ない。従つて、原判決には、所論のような法人税法第九条所定の総益金及び総損金の観念を誤解し、且つ、法人税法適用の前提たる企業会計原則に違反した違法があるものとすることはできない。論旨は、すべて、独自の見解による論難であつて、理由がない。

弁護人清瀬一郎の論旨第四点及び弁護人竹上半三郎外三名の論旨第四点について

不法行為による所得も、税法上の所得に含まれ、課税の対象となる旨の原判決の判断は正当である。国民は、国家の構成員として、資力に応じてその経費を分担し、その財政を維持すべきことは当然であり、憲法第三十条は、国民は法律の定めるところにより納税の義務を負う旨を規定している。そして、わが税法は、国民の所得に対し課税する旨を定めているが、その所得の原因の合法・不法を区別してはいない。本件当時の法人税法にいう法人の普通所得は、当時の同法第九条に規定するように、その総益金から総損金を控除した金額によるものであり、同上超過所得は、右普通所得を基礎として当時の同法第十三条の規定により算出されるものである。そして、右総益金及び総損金の意義については、弁護人清瀬一郎の論旨第一点に対する判断の冒頭に叙べたとおりである。従つて、特に法令により不法行為による所得を除外する旨規定していない以上、かかる所得も、課税の対象となることは当然である。本来、所得の原因が合法であるか不法であるかの問題は、税法の領域外のものである。従つて、被告会社の本件物価統制令違反による所得も、課税の対象たるべきことは明らかである。論旨摘録の昭和十七年七月七日大蔵省主税局長から各財務局長に宛てた主秘第三四二号通牒及び昭和二十一年八月七日の議会委員会における政府委員の答弁は、当時の社会情勢のもとにおいては、いわゆる闇取引は、司法権により取り締まり得るものと考え、裁判所の刑事判決により闇取引による利得を没収又は追徴すれば足るとの意図のもとに、当時の政府の方針としては、闇取引による利得については、課税しない旨を表示したに過ぎないものであつて、もとより税法に関する有権解釈の趣旨でないことは、該通牒及び答弁の内容自体並びに原審における証人忠佐市に対する尋問調書中の同人の供述記載に徴して明らかなところである。従つて、統制法令違反による所得に対する課税後、刑事判決によつて該統制令法違反の事実が確定したからとて、当然に税額返還の問題を生ずるものではないから、これがため、所論のような憲法第八十四条の主旨違背の問題を生ずるものでもない。原判決が被告会社の物価統制令違反による所得を課税の対象としたことについては、何ら所論のように法人税法第九条その他の同法の規定の解釈を誤つたものではない。論旨は、いずれも、独自の見解によるものであつて、理由がない。

弁護人清瀬一郎の論旨第三点について

犯罪行為による所得といえども、前叙のように課税の対象たる税法上の所得と解すべき以上、申告納税制度を採用するわが税法のもとにおいては、納税義務者は、国税官署に対してその申告をするを要することは当然である。税法は、もとより犯罪行為の告知を要求するものではないから、納税義務者は、かゝる所得の原因たる犯罪行為を告知する必要はないが、さればとて、犯罪行為による所得を隠蔽して該所得を申告しないことは許されないところである。法人の機関が、右法人のため、公表しない裏帳簿を作成し、該法人の物価統制令違反による所得をこれに登載して右所得を隠蔽し、該所得を国税官署に申告しないで、これに対する法人税を免れたような場合には、該行為は、法人税法第四十八条に抵触することは言うまでもないところであり、本件がかゝる場合に該当することは、原判決の援用証拠上明らかなところである。憲法第三十八条第一項は、その規定の位置から見て、刑事手続を主たる目標とするものであることは疑ないが、その文言中に対象を刑事手続に限定する趣旨は顕れていないのであるから、刑事手続以外にわたつても、刑事責任に関する不利益な供述の強要禁止をしたものと解しなければならないけれども、申告納税制度は、前叙のように、納税義務者に所得の申告を求めるものではあるが、その原因たる犯罪行為の告知を求めるものではないから、該制度が右憲法の規定に違反するものとは解し得ないところであり、この点に関する原判決の判断は正当である。国家は、所論のように、納税義務者の申告によらなくても、これに課税し得ないものではない。しかし、かかる課税方法は、国民が民主的に正しい申告納税を行う場合と比べて、徴税を複雑且つ不正確ならしめ、且つ、新憲法に示された民主主義の精神にも背馳するものであるから、納税義務者が犯罪行為による所得について、所得そのものの申告をも拒否することは、原判決にいう公共の福祉に反するものと云わねばならない。所論刑事訴訟法第二百三十九条第二項は、もとより訓示規定であつて、公務員が国民を告発するには慎重たるを要することは当然であるから、前叙のように納税義務者に所得の原因たる犯罪行為の告知義務がない以上、右規定に籍口して所論のように申告納税制度を論難することは当らない。又国税犯則取締法第十二条の二に至つては、これが国税に関する税法上の犯則事件に関するものであつて、所得の原因たる犯罪行為に関する告発の手続を規定したものでないことは明らかであるから、該規定に基いて申告納税制度を論難することも当を得ない。税法に規定する手続は、もつぱら徴税の目的のためのものであつて、刑事事件の捜査のための手続ではないのであるから、納税義務者が犯罪行為による所得について所得そのものの申告をも自己の刑事責任上不利益な供述として拒否することは、公共の福祉に反する自由権の濫用と言わなければならない。法人税法第四十八条にいう詐偽その他不正の行為とは、所得の原因たる犯罪行為の不告知を指すものではないことは明らかであり、原判決がかゝる点を犯罪として処断したものでないことについては、曩に叙べたとおりである。従つて、原判決が本件につき法人税法第四十八条を適用したことについては、何ら所論のように法令の解釈を誤つたものでもなく、憲法の規定に違反したものでもない。論旨は、すべて、独自の見解による推論であつて、理由がない。

弁護人清瀬一郎の論旨第五点及び弁護人竹上半三郎外三名の論旨第七点について

本件行為当時の法人税法第四十八条規定の逋脱罪が、当時の同法第二十一条のいわゆる中間申告による納税の場合にも成立するものと解した原判決の判断は、正当である。当時の法人税法第四十八条は、詐偽その他不正の行為により法人税を免れた場合においては云々と規定し、第二十一条によるいわゆる中間申告の場合と第十八条によるいわゆる確定申告の場合とを区別してはいない。当時の激しいインフレーシヨンの昂進に対処し、国家予算執行のため、財政収支の時期的均衡を図り、他面インフレーシヨンの抑制にも資するため、徴税方法を合理化し、早期に税収を確保するため、法人税法は、右第二十一条により法人の本来の事業年度の外に、その中途においてあらたに徴税目的のための別個の事業年度を設けたものと解しなければならないのであつて、中間申告の場合であるからとて、確定申告の場合と異つて第四十八条の対象とならないものと解すべき理由はない。若し、中間申告の場合において、故意に詐偽その他不正の行為によつてその納税をしなかつた者でも、確定申告の際に至つてこれを是正すれば、右法人税法第四十八条の対象から除かれて、同法の罰則の適用がないものとするならば、当時のインフレーシヨンの昂進期において右同法第二十一条第二十六条により忠実に所得の申告、納税を果した者と比較し、徴税の公平を期し得ないものと言わなければならないのであつて、かくては、確定申告による納税義務のみ遵守されて、中間申告による納税義務は無視され、法が特に早期税収確保のため、本来の事業年度の外に中間の事業年度を設けた趣旨は、没却されるに至るものと言わなければならない。右のような解釈は、到底当時の法人税法の法意に副うものとは解されない。従つて、中間申告の場合においても、詐偽その他不正の行為により期限内に正規の納税をしなかつたときは、当然逋脱犯の既遂が成立するものと解しなければならない。営業には、その主体の定める一事業年度が終らなければ正しい成果の判明しないものがあることは否めないけれども、さればとて、法定の右中間の事業年度に明らかに顕れた利得を秘し、不正の行為によつてその申告、納税を行わなかつた場合には、所論のようにこれを逋脱犯から除外すべき理由はない。原判決は、第一の犯罪事実として、「昭和二十二年四月一日より同年九月三十日迄の第二期事業年度の中間所得申告を為すに際し、……昭和二十二年十一月二十四日上田税務署長に対し、普通所得なしと虚偽の所得申告を為し、以て正規の法人税三百六十八万五千四百三十九円を逋脱し」と判示しているが、原判決の犯罪事実及び証拠の各摘示に徴するときは、右は、虚偽申告の際逋脱犯の既遂が成立したとの趣旨ではなく、虚偽の申告をしてそのまゝ法定の納税期限を徒過し、右正規の法人税を逋脱した趣旨を判示認定したものであることが明らかである。(しかも、本件は、右中間申告の場合においてその納税を逋脱したばかりではなく、確定申告の際に至つてもこれを是正することなく、依然正規の納税を逋脱したものであることは、原判決がその第二の犯罪事実として認定するとおりである。)原判決は、所論のように、当時の法人税法第四十八条の解釈、適用を誤つたものではない。論旨は、すべて独自の見解によるものであつて、理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 三宅富士郎、判事 荒川省三、判事 堀義次)

弁護人竹上半三郎同林逸郎同渡辺靖一同伊藤英夫の控訴趣意

第四点原判決は法人税法第九条の解釈を誤り、不法に本件の有罪を認定して居る違法がある。

一、原審判決は犯罪を原因とする不法所得も亦法人税法第九条所定の総益金に該当するものとして居るが、原審に於て証人忠佐市が証言の一部として提出した昭和十七年七月七日大蔵省主税局長より各財務局長宛の主秘第三四二号通牒には闇所得に課税せずとの趣旨を明かにし、又昭和二十一年八月七日第九十回帝国議会に於ける所得税法の一部を改正する等の法律案外二件の委員会速記録第三十六丁には現大蔵大臣池田勇人が(当時主税局長)政府委員として出席し議員の質問に対して闇行為は犯罪として処罰せらるべきものであり、闇所得に対しては課税せずとの政府の方針を堅持して居る旨を答弁して本件の当時に於ける政府の確定解釈を言明して居る事実があり、法人税法の他の規定との対照、憲法其他の法令との比較解釈上法人税法第九条所定の総益金は正当行為に基く所得のみを指すものと解するを正当とし、現に昭和二十六年三月一日高松高等裁判所に於て同趣旨の判決を為された事実を新聞紙上に報導せられて居る。

二、然らば原判決は法令の解釈を誤つて居る違法がある。

第七点原判決は所得税法の解釈を誤り中間申告を有罪と認定して居る違法がある。

一、原判決は事実理由の第一として被告会社の中間申告に対して有罪を認定して居るが、中間申告が逋脱罪を構成しないことは既に昭和二十四年九月十日東京高等裁判所第十二刑事部に於て判例を示されて居る処であつて、原判決は明かに法人税法第四十八条の解釈を誤つて居る違法がある。

弁護人清瀬一郎の控訴趣意

第一点原判決は法人税法第九条に規定する「総益金」の観念を誤解すると同時に法人税法がその適用の前提とする企業会計原則に違反したる違法且不当の判決であつて、此の違法不当は判決の結果に影響を及ぼすことは明白である。

本件の全貌として第一審判決の摘記するところは次の如くである。「被告会社は終戦直後日本蚕糸株式会社が解散したのを契機とし、独立の蚕糸製造会社を設立経営することを企てた被告人上野秀喜等数名の蚕糸業界出身者と、蚕糸業界への進出を企図していた大建産業株式会社とが結びついて、昭和二十一年五月二十日生糸蚕種の製造及び販売(副生品の加工及び販売並びにこれに附帯又は関連する一切の事業を目的として、資本金一千万円、全額払込(昭和二十三年十月二十三日増資により資本金二千五百万円となる)を以て創立された株式会社であり……(中略)……被告会社は右のような機構の下に柏原、野沢、上諏訪、北安等の各工場を傘下に納め(その釜敷合計約四百)一千釜保有を目標として出発したがそのためには、右各工場の修築、増築、設備の改善及び工場の新設、買収等を為す必要があつたので、払込資本金をこれに充てたが資金の需要が増大するに従い、親会社ともいうべき大建産業株式会社の直接、間接の経済的援助に期待を寄せざるを得ぬ状態となつて来た。ところが同会社は昭和二十一年八月制限会社に指定され、被告会社を援助することができなくなつたので被告会社は次第に嵩む建設資金等の捻出に苦しんだ結果、被告人上野秀喜決裁の下に各工場において、最初は操糸不適格品を、次で上繭、生糸、副生品等手持の統制品を統制額を超える価格を以て横流しするようになつた。かくして第一期事業年度を終り、第二期事業年度に入つたが(被告会社は四月一日より翌年三月三十一日迄を一事業年度とする)右横流しによる収入が尨大な数字となつて帳簿に現はれて来るので、経理課長松井豊太郎、同課長代理牧野正春、監査課長小口亘、同課長代理横内要一等はこのまゝにしておけば帳簿自体から統制違反が発覚するであろうと憂え、昭和二十二年六月初旬頃前記横流し等による売得金を別口資金とし、之が収支は一切裏帳簿に記入して公表しないことにするに如くはないと協議し、その旨を被告人上野秀喜に謀つてその同意を得、茲に表勘定Aの外に右趣旨の裏勘定Bを設定することゝし、同月十二、三日頃上田市大字常入九百三十番地の被告会社本店において、被告人上野秀喜列席の下に開催された各工場、事業所の経理主任会議の席上、経理課長松居豊太郎より一同に対し之が実施を指令した。かくして被告会社は第二期事業年度の期首即ち昭和二十二年四月一日に遡り公表用のA勘定の外に、A勘定と同様の組織、体系を有するB勘定を設けて之を裏勘定とし、A勘定には正規の取引による収入及びその収入よりの支出を、B勘定には統制違反の取引による収入及びその収入よりする支出を計上することを建前としたが、資金の都合や、経理の便宜のため、右原則は厳格に実施されず経理の実体はA、B両勘定の合算により始めて掴み得る仕組になつていた。ところが被告会社の購入繭には繭検定規則により検定が為され、日本蚕糸業会からはそれに基き、同会に売渡すべき生糸量の割当決定が為されてくる関係上、横流しの繭(生糸の横流しについてはその原料繭)に対する割当糸量も日本蚕糸業会に売渡さねばならぬことになるので(註、此の売渡さねばならぬ糸量を責任糸量といつて居る)被告人上野秀喜等被告会社の運営に当つていた者は、繭乃至生糸の横流しにより生ずる尨大な割当糸量の不足量はルート外の闇繭の買入れより補わねばならぬようになるのであろうが、掛目高騰の折柄、闇繭の購入により多額の赤字を生ずることは明かであり、之が対策を講じなければ、経営難に陥るのを防ぐことができぬであろうと憂慮し、前記B資産をその赤字補顛用として留保しておくことを考へた結果、法人税法所定の所得申告には、B資産を計上しないこととし同被告人は右意図の下に経理課長松居豊太郎をしてA勘定のみにより所得計算を為さしめ」其結果(第一)昭和二十二年四月一日より同年九月三十日迄の事業年度(同社第二期前半)に於て法人税三百六十八万余円、又昭和二十二年四月一日より昭和二十三年三月三十一日迄の事業年度(同社第二期後半)に於て法人税六百七十五万余円を逋脱したというのである。而して別口勘定に於ける保有繭販売代金(B資金ともいう)不公表の理由として被告上野は次の如く言つて居るのである。(原判決の引用する被告人上野秀喜の検察官に対する供述調書中より引用する)「もつともB資産を公表せずにとつて置いた理由は、会社が政府に対して負担して居る責任糸量が会社の闇行為に因つて大きな穴が出来て居るのであります。此の穴を埋める為めには責任糸量のついて居ない原料繭を買いこれをもつて責任糸量をはたさなければならないのです、それに因つて起る仕入代金と責任糸量の供出代金との差が赤字になつてくるので会社と致しましては其の赤字補填の為にB資産を社内に留保して置かなければならなかつたのであります。従つて此のB帳簿の資産というものは会社の確定的な利益ではないと考へて居たので此のB資産は公表する必要は無いと考へて居たのであります」と。(こゝで公表とは税務署への申告をいう)原審第十六回公判(昭和二十五年七月三十一日)及び同第十七回公判(同年八月一日)に於ても、右被告上野はこれと同一内容の供述をして居り、証人牧野、松居、小口等も総て之と符合する証言を為し、原審も亦右別口収入金につき申告を為さざりし理由が概ね茲に在つたことは否定して居らぬのである。そればかりではなく原審判決は被告会社等器械生糸製造業者は当時その製造した生糸を日本蚕糸業会(政府の代行機関)に売渡さねばならぬものとされていたことをも確認したのである。(原判決十五枚表初行以下)

右様の事実関係なるに拘らず、原判決は右別口繭代金の不申告を以て法人税の逋脱であるとし、被告会社並に被告人上野に対し起訴状記載と略ぼ同様の法人税の逋脱犯罪ありたりとして原判決が被告上野並に弁護人の主張を却け別口繭代金につき上記の法人税不申告ということを以て、依然逋脱罪を構成すと判断した理由につき、原判決は判決書九枚より二十二枚に亘り、長文の説明をしているが、要するに原審裁判官の根本観念は次の数点に帰着するものと解せられる。(1) 糸量を日本蚕糸業会へ売渡す義務は日本蚕糸業会よりの指示(割当ともいひ決定通知ともいう)があつて初めて確定する。それ迄の間は、縦令繭の検定があつても、供出量は自動的に決定するものではない。而して右日本蚕糸業会よりの指示は糸業年度の終りより遅れて来るものであるから被告会社の第二期年度末即ち申告時に於ては未だ義務となつて居らぬ。ということ。(判文十二枚以下即ち理由(一)の(イ)の(1) )。(2) 検定糸量に九七、一%を乗じた取引糸量と後日、日本蚕糸業会より指示し来る責任糸量とは必ずしも一致せぬ。或時は取引糸量が責任糸量より大であつたり、或時は小であつたりする。従つて右指示が到達するまでは売渡すべき数量、即ち債務の量が定まらぬ。従つて之を法律上の債務とは云へない。(原判決は尚ほ曰く、検定糸量を基準として生ずるであろう不足量を予め計算しておかねばならないというのは事実上の必要であつて法律上の債務数量ではない、と)。(3) 製糸業者の負うて居る義務は業者が蚕糸業会へ売買契約を為す義務(作為義務)であつて、初めから納入義務即ち供出義務を負うて居るのではない。之は税法上の損金となるべき性質のものではない。(判文十五枚裏九行(ロ)より十六枚裏八行迄)。(4) 又仮りに生糸業者に引渡の義務ありとしても、それは給付義務であつて給付の目的物の価格或はそれを製造するに要する費用とは別個のものであるから、かゝるものを法人税法第九条の損害、即ち純資産の減少となる事実とは為し得ない。(判文十六枚裏八行以下)。(5) 不足量補填納入義務は横流しの時に発生するものでない。未だ生糸の売買契約が為されていないときに、将来蚕糸業会より受取るであろう代金を債権として益金に計上出来ないと共に未だ買受契約すらない繭或は生糸の時価や繭の見積加工費等を損失とすることは出来ない。(判文一七枚裏六行「(二)について」以下)。(6) 横流しにより手持繭が減少したため繭の手当をしなくてはならなくなつた場合でも、繭を闇買いすることは生糸の売渡義務を果すための一つの手段ではあるが売渡義務そのものではない。又売渡義務の内容でもない。(出目を利用して順次穴埋めをすることもできる筈である)。(判文十九枚裏七行以下)。(7) 弁護人のB資産は責任糸量不足量を補填して納入すべき新なる債務の負担に依つて獲た収入金であると言うのは誤りである。被告会社の蚕糸業会に対する売渡義務は横流しの前後によりその性質内容が異るものではない。その債務は(3) に述べたように売渡契約を為す義務であつて繭補顛の義務ではない。(判文二十二枚表七行以下)。右判決の理由説明の文章は相当複雑又冗長であるが其の云わんとするところは以上七点に要約することが出来、更に之を熟察するときは右七点の根底を為す思想は次の二点に在ることを発見する。

その一は法人税法第九条の適用上収益より相殺さるべき損金という為めにはそれが民法上の債権として内容数額の確定したものでなければならぬ。事実上の価値の減少、将来に確定さるべき損失の如きは税法上考慮せらるべきものでないということである。

その二は会社に現金受入れがあれば、その受入れの日の属する年度に於て利益に計上し、此の受入れの事実と不可分の費用損失が予定せられて居つても、それは将来その数額が確定した時(次年度又は次々年度)に之を損金として計上すれば可なりということである。

この二つの思想の当否を論定すれば、上記七点の一々につき反駁を必要とせぬ。而して右二思想は本論旨冒頭に指摘した如く一は明かに税法の解釈を誤りたるものであり、他は税法の前提とする会計学の原則に反するものである。以下少しく此の問題につき陳述するであろう。

第一、税法上の損金、益金の観念は経済上の損益を云い必ずしも民法上の権利の発生存続には一致するを要せざること。

(一)税法上損金、益金は経済上の観念である事。そもそも法人税法第九条にいう総益金と云い総損金というのは何であるか、右を決定するには税法本来の目的より演繹せねばならぬこととなる。所得税及び法人税は本来個人又は法人の経済上の収益に応じ、国家目的の為め応能醵出を求めるものであるから、その財産の増加と云い減少というも、之を経済的意味に解せねばならぬ。近時我国に於ても税法を研究するものようやく多からんとして居るが、早く既に此点は学者の注意を惹いて居る。著書等に於ても論文に於ても税法上の損益か経済上の観念なることを特記して居るものもある(例えば忠佐市民の租税法要論、中川一郎氏の雑誌「税法学」の論文)。昨年九月二十五日国税庁長官より各国税局長宛に示達せられた「法人税取扱通達」に於ても、総益金とは法令に於て別段の定あるものの外資本の払込以外に於て法人の純資産増加の原因となるべき一切の事実を云い、総損金とは法令に於て別段の定あるものの外、資本の払戻又は利益の処分以外に於て純資産減少の原因となるべき一切の事実をいうと云つて居る。右はシヤンツエ氏の純資産増加説を採用したものであるが、対資本金関係は別として法人の純資産の増加を来すべき経済的事実が発生すればここに益金が生れ、純資産の減少を来すべき経済事実が偶発すればここに損金が現はれるのであることを云つて居るものである。此の考へ方については学者の側に於ても根本の反対説はない様である。既に純資産の増加減少の原因という以上その経済上の事実であることは明かであるが更に法律上の権利の発生消滅に偏傾したる議論を是正する意味に於て単に「利益」という代りに「支配可能な経済的利益」という用語を用うるを可とすと唱導する人もある、原判決が余りにも法理に深入りし生糸会社が蚕糸業会との間に納入の為めの「売買契約を為す義務」と「納入其事を為す義務」とを区別し後者のみに税法上の損金たる意義を附し前者即ち一定価格で(其時代の実価如何に拘らず)売買契約を為す義務には(縦令、この義務あるが為め予め損金補顛の手当をせねばならぬ経済上の要請ありとするも)これに損金たる意味を附すべからずとしたのは明かに税法の誤解である。且縦令原判決も認むる如く売買契約は債務契約であると観念するも本件の場合には「実除の取扱は即時売買の形を採り、売買と生糸の取引が同時に行はれていた」のであるから(原判決これを認む)此の場合売買契約を為す義務は作為の義務でありとし此の義務の履行に要する出費を損金と見る能はざるものとしたのは余りにも拘泥したる見解である。原判決も後段不法行為に因る利得を論ずる場合には必ずしも権利の法律上の移動を要件とせず、事実上の支配を以て収益として居る。これは原判決自体の矛盾である。

(二)所得は経済上の観念であるから一の事実により生ずる収入と出費は対応せしめてここにはじめて真の所得が出る。これを「収入費用対応の原則」という人もある。前記の如く益金といひ損金というのは一の事実である。そして多くの事実は一方に於いて収入を生むが同時に他方に於て支出を要するものである。先ず収入が生れたが、それに伴い他日必ず出費の現はれる事が確実であれげその収入のみを所得とすることは出来ぬ。必ず之と出資とを対応せしめなければならぬ。それでなければ経済的の損益が判明せぬ。出費が先づ生ずる場合(例えば長期の土木請負)も後日之に因り収入ある事確実なれば、かかる出費は之と対応せしめ、後日此の収入と相殺して利益又は欠損の記録と為すべきものである。後にも会計原理に関し一言するが之を対応せしめないときは或る年度に於ては欠損のみとなり、他の年度に於ては収益のみとなるが如き奇観を呈するであろう。

本件に於て被告会社が第二期に於てその保有の繭を処分して一時の急需(工場復旧)に応ぜんとした事には他の類例のない一事由がある。それは該繭は政府(代行機関は蚕糸業会)より割当てられた一定の区域より蚕糸業会の保証により獲たる資金を以て買集めたもので、政府側に於て其の量は知られている。而して之より製出することの出来る糸量は検定によりて判明して居る。故に此の保有繭の量に検定歩合を九七、一%を乗じたものは多少の誤差があつても後日必ず之を供出するの責任がある。此の義務実行が何時であるか、又此の義務が法律上契約締結の作為義務であるか又現物納入の義務であるかの法学的分析論は別として兎も角繭の各量につきこの供出義務が付着して居る。これを糸籍ある繭ともいつて居る。蚕糸業会に対し見返り担保となつているとの意味である。かかる糸籍を急需のために闇値で販売したとする。繭は販売したが供出義務は会社に残つている。販売行為の当不当は別として販売(横流し)という一の事実は現に発生した。この一つの事実よりして一方には闇代金幾万円というものが会社に入金にはなつたが此の同一の販売行為(即ち保有繭の減少)という事実よりして同時に他方、将来供出の為めに繭獲得の手当をせねばならぬという事実上の必要が発生したのである。而して此の繭補顛のために払出繭の原価と同一価格の繭(公定価の繭)が世の中に存在し、これを獲得することが経済的に可能であるならば、前記横流しの為め保有繭原価より高く流し得た差額だけは会社益金としても良いのであるが、当年(昭和二十二、三年)の繭事情はそんなものではなかつた。補顛繭は闇市場で闇値で買うか乃至は翌繭年度まで待つ外はない。(後の場合にも掛目昂騰は必然の事として予想せられた)故に当場緊急の必要のため闇値で保有の糸籍繭を販売したという唯一の事実の反面に将来必ず到来する生糸供出の責任を果すための準備費というものが予定せられる。この費用が幾何であるかは別として、兎に角これと保有繭の販売代金とを対応相殺しないで売値全部より保有繭の原価のみを差引いた差金全額を所得として計算することは、収入と費用とを対応せしめないこととなる。斯の如きは所得算出の原理的要求を無視するものである。闇取引の利得に課税すべきや否やは別に論ずるが、今、仮りに之に課税するとすればそれは、此の利得というのは、徴税の目的の限度に於ても通常の収益として待遇せられるものに限らねばならぬ。これを没収、追徴の場合の法理と混淆してはならぬ。此の場合同の利得保持のために要する牽連出資を考慮せぬというのは合法的ではない。然るに原判決の根底を為す思想は此の道理を無視して居る。

次に本件の場合保有繭補顛の為めの費用は幾何であると算定すべきやは証拠によつて定まるべきものであるが、今之を一言すれば当年の繭事情としては前に述べた如く保有の糸籍繭欠陥補顛のために公定価格で繭を入手することは絶対不能であつた。遺憾ながら闇売りの繭を獲得して之を補顛するの外はなかつた。闇の値段も毎日相違するから実際正確には判からぬが、販売した日に於て考えらるることは少くとも会社の売りたると同値にて買わねばならぬという事である会社帳簿には此の主意で記帳すべきである。乃ち会社は売りえる値にて買戻し、その間有形的の利益もなければ損失もない。会社の獲んとしたるところの利益はただ急場の金融の便であつたのである。実に此の便益を得るため法定保有繭を一時処分する必要があつたのである。此の間の事情を被告上野は「被告会社は繭を横流したため果さなければならない責任糸量に穴が生じて居りこれはどうしても埋めなければならない。恰も闇商人から繭を担保にして金を借受けて居る様なものであるからB勘定は横流しによつて得た収入金ではあるがこれはその穴埋めのための引当金である」と云つて居る。(原審第十六回公判調書並に同所に於て引用の検事面前供述)。右は比喩ではあるが以て被告人並に会社幹部の往年の心事を証するに足る。

第二、収益と之に対応する支出とは同一年度に計上処理せられねばならぬ。

(一)法人税法は、その制定より以前に商業的慣行として確実に行はれて居る企業会計の事実を前提として立案せられたものである。故に法人税法上の課税所得の計算方法も企業会計に関する会計学の原則と簿記の実際に及ぶ限り即応することに依りて立法者の意図を実現することが出来る。乃ち税法殊に法人税法の解釈及び適用は原則として会計学の通則に従うべきである。一昨年経済安定本部が「企業会計原則」を設定するに当つては、企業会計原則は企業の合理化及び課税の公正化をその目的とすと掲記して居る。而して会計学上の原則の一は「期間成果確定の法則」と称するものである。株式会社の場合に於ては債権者の保護のためにも亦株主に配当すべき価値に関しても一定の期間の利益として処分するのである。利益金額に応じて賦課せられるところの国家の租税も亦或る意味に於いて画家が各企業の利益の分配に与るものであると観念することが出来る。債権者や株主が期間成果の確定を求むる立場と収益に対して課税する場合の国家の立場とは相類推することが出来る問題である。当該期間内の実成果を捕捉してここに当該期間の収益なるものが成立する。この場合、収益に伴う出費の生ずることが確実に予測出来るに拘らず(例えば固定資産の消耗)未だ現金支出なきを以て之を考慮することなく、その年度内の現金収入のみを成果として全額の捕捉を為し、之を株主配当の源泉となすときは其の期間の株主は適当の利得を為し出費の現実に発生したる(例えば固定資産の修繕を為したる)次期又は次々期に一時に此の出費を損失として扱うときは此時の株主は過当の負担を為す結果となる。斯の如きは真に公正なる経理方法ではない。依てここに更に第二原則たる「予見の原則」なるものが成立し、縦令当該期間内に現実なる金銭的支出がなくとも、或期に計上せられたる収益科目に伴う予期せられたる出費は適当に見積の上、当該期の損益計算上支出として計上せられるのである(従つて課税も之を標準とすべきである)。

今、具体的に「財務諸表準則」に当て嵌めて右の事を説明すれば、本件会社は製造工業を営む会社であるから「財務諸表準則」第一章の第二第二項に依りA二号表を使用すべきものである。而して保有原料を一時の金繰のため売却すというが如きは営業上の売上収入ではないから右A二号表に於ては「営業外収益」の6「雑収入」として一旦売却代価に依る収入を記帳し、別に営業外費用の欄に保有繭の補填に要する費用を「雑支出」として計上記入し、他の記事と通算して、ここに初めて当期純益金なるものが算定せられるべきである。いづれにするも、もし保有繭処分代金(雑収入)を記帳したりとすれば、之に対する雑支出の記入を為さずして当期純益金を算定し利益配当を為すことは許されぬ。従つてかかる純利益の基礎の上に納税することも許されぬ。これは会社原理よりいうときは一の不当行為である。此事は本件検挙の当初より既に問題となつて居る。

原審第七回公判に於て被告上野の供述中「結局査察官は責任糸量を果した年度に於て見てやる(原料補填の費用を損金中に見てやるの意)ということでした。私共はそれに対し穴の発生した時に債務としなければ不合理たと申したのですが叱られただけで取上げられませんでした」と在る。然し乍ら会計の原則たらいへば査察官の見解は誤りである。上野被告の主張が正論である。既に原料欠陥(上野の所謂穴)の補填費を以て損金と認むる以上は、この損金はその原料を売却して、代金を収入として計上したその貸借対照表に之を損金として記入せねばならぬ。此間の道理の誤解が本件を繁雑、難解としたことは実に遺憾である。要するに原判決は本論旨冐頭掲記の如く法人税法上の所得を余りにも法律学的に解釈し経済を無視したると同時に企業会計原理に違反したる考察を為したものである。

第三点原判決は納税者は自家の犯罪行為又は之と密接の関係ある利得についても国税官署に進んで申告を為すの義務ありと解したものである。これは法人税法第四十八条の適用を誤りたるものであつて、此の誤も亦判決の結果に根本的の影響を及ぼすものである。

本件公訴事実は被告会社が昭和二十二年十一月二十四日に第二期前半の中間申告又昭和二十三年七月二日に第二期全期の確定申告を為したものであるがこの申告書中に自社の物価統制令違反に因る所得を包含せしめなかつたことを犯罪であるとして訴追したものである。

これに対し第一審以来三様の事が争となつた。(一)公訴事実に所謂所得は実はこれと同額又は以上の経費を伴うものであつて本来利得を構成しない。(此のことに関しては、本趣意書第一点に論じた)。(二)もし検察官のいうが如くであつても違法行為による所得に対しては課税せられぬものである。その申告を為さざることは当然である。(この点については次の論点に於て論及する)(三)違法行為による利得につき国家に課税権があつても無くても法律は納税者が自ら違法行為を進んで供述申告することを要求して居らぬ。この申告を為さざりし点を捉えて犯罪と目すべきではない。という三点である。当事者及び弁護人が証拠の申請、証人の訊問又は弁論の際用いた語句には其の場合の情況に依り種々の変化はあるが趣旨に於ては右三様に分類することが出来る。本論旨に於ては前記(一)(二)の点は暫く措き(三)の点について論歩を進めんとするものである。第一審以来此の問題は憲法第三十八条の問題として論議せられて居る。勿論此の問題は憲法規定に大なる関係があるが当弁護人は直接には右は法人税法第四十八条の解釈問題として之を把握したのである。憲法第三十八条は原判文にも縷説する如く人類の長き歴史の産物である。その趣旨は人類の自己保存の本能に反し、自已に不利な事、自己を犯罪に陥いれんとするようなこと(セルフ、インクリミネーシヨン)を強いて供述せしむる事は余りにも苛酷残忍の結果となるを想い立法に於ても行政に於ても之を禁ずることを規定したものである。故に我国の法律、殊に新憲法発布後の法律を解するに当つても此の主旨をもつてその法意を諒解すべきである。近時所得税法にも法人税法にも申告制度を採用しては居るが其の要求する申告中には自己帰責の事実の強制申告は要求して居らぬと解すべきである。従つて法人税法第四十八条の詐偽、不正の行為という中には、自己帰責任の申告を遺漏したという如き事由は包含せずと解すべきである。強いてこれをも包含すると解するに於ては、かゝる解釈は憲法第三十八条第一項に反することとなる。ここに本問題は間接には憲法問題に波及することとなる。原判決は憲法問題につき極めて詳細な説明を加えているが、その要点は次の二点に在るようである。

其一は国家又は官吏が「国民から聞かねば事実が明かにならず、適正な行政権の行使ができないことがあるが、その場合それが国民の刑事責任に関する不利益な事実に関するものであれば、常に供述を拒むことができるとすべきであろうか、ここに供述の自由と公共の福祉との対立が生じるが、供述を得られないことにより公共の福祉を害する結果を生ずる場合には、その国家目的(公共の福祉の目的)のため必要な限度において、この自由は調整され、国民に供述義務を認めることができるものと解すべきである。」(判文五一枚裏九行以下)其二は、「税法は不法所得と然らざる所得を区別して申告せしむるものではなく、まして犯罪を犯した旨を申告(所謂自白)せしめるものではない、既得自体を対象とし、所得税法でいえば、給与所得であるか、事業所得であるか、一時所得であるかその他の所得であるか等同法第九条に規定する所得の種類、所得金額、所得の生ずる場所等の申告を要求し、法人税法でいえば各事業年度の総益金から総損金を差引いた所得金額を貸借対照表、損益計算書、明細書を添付して申告することを要求しているのであつて、不法所得であるとないとを問はず、所得そのものを別の角度から分類計算したものの申告を期待しているのであるから、如何なる意味においても犯行自体の自白を強要するものとは言えない」。(判文五五枚表十二行以下)。

しかし乍ら右の主旨は二つながら本件には適切でない。

第一の点について言えば、国家は納税義務者に対して課税しようとすれば当事者の申出を待たず自ら調査して決定することが出来る。法人税法第三十条にも法人が申告書を提出しなかつたときは政府の調をにより課税標準を決定するとの規定を設けて居る。又申告があつても収益の一部分が遺脱して居る場合には更正という事も出来、是れ亦実際盛んに行われて居る。且我国では最近まで数十年間税務当局は申告なしで課税標準を決定して居つた。本件は公共の福祉に藉口して憲法の主旨に例外を設けねばならぬほどの必要に迫つた問題ではない。第二の点について云えば憲法第三十八条第一項の保障は「自己に不利益な供述」と云い必ずしも犯罪の「自白」其事に限定して居らぬ。原判決にも引用して居る如く刑事訴訟法第二百三十九条第二項には「官吏公吏は、その職務を行うことにより犯罪ありと思料するときは告発しなければならない」と在り、尚ほそれよりも重犬なことは、税務官吏は、もし不法行為による所得の申告に依り犯則事犯ありと認むるときは何時でもその調査を開始することが出来ることである。この場合には国税犯則取締法第十二条の二に依り必ず告発の手続が為されることとなる。原判決は法人税法は犯罪を犯したことを申告せしむるのではない。それより生じた所得を含んだ所得金額を貸借対照表、損害計算書及び明細書を添付して申告するのであると云つて居るが、右は直ちに犯則事犯の調査を喚び起し、その結果はこの納税者の保身上殊に刑責上に不利な事実であることは多言を要せぬ。自発的の自首は各人の任意であるが、それをしなかつたことを責めるのは、新憲法並びに新刑訴法以後の我法制の根本に横はる一種の人道主義に反するものである。原審裁判官の博引旁証には敬意を表するが、原判決は最も大切な一点を忘却して居るのである。本件につき他の理由、他の段階を捕捉して何等かの制裁を考え出されるのは別事であるが闇利得の申告を遺脱せりという段階時点を捉え来り、これが法人税法第四十八条の詐偽、不正の行為であるとしたのは、擬律の錯誤であることは明かである。而してこれが判決全部を履へすべき性質のものであるから、ここに之を控訴の理由とする。

第四点原判決は我法人税法に於ても、不法行為の結果たる利得も亦課税の対象となると解したる点に於て法規の解釈を誤りたるものであつて、是亦判決に重大なる影響を及ぼすものである。

立法者が一切の不法行為による利得乃至其内の一部分(例えば統制違反の行為に依る利得)のみに限りて課税しようと思へば、法律さえ作ればそれは不可能の事ではない。又斯かる立法を為したる国もある。しかし斯の如き立法は人類の経験上異常のことであるから、極めて明確なる法規を必要とする。然るに我国には未だ曾て右様の立法は無い。殊に戦時中及び戦後の統制法立案者の心持としては、統制違反の行為に因る利得につき課税するということは、東洋的に考えて、やはり統制違反を是認したような主旨を含蓄することとなるため、これを避けた事が明白である。現に第九十議会に於て、法人税法を含めたる税法改正の審議の際議案提出者たる政府を代表して、政府委員(今日では、大蔵大臣)が声明したところは次の通りである。

九十議会委員会議事録下36頁 所得税法ノ一部ヲ改正スル等ノ法律案外二件委員会 昭和二十一年八月七日奥村又十郎委員……此ノ点ニ付テ闇ノ問題ソレカラ脱税ノ問題此ノ二ツヲ御伺ヒシタイト思ヒマス大蔵大臣ハ物価ニ丸公ト闇ヲ入レテアルト云フコトヲ云ハレタ、是レハ大臣御認メニナツテ居ラレマス。税務御当局ニ於テハ一体丸公ト闇、ドチラヲ基準トシ、ドチラニ税金ヲ取ツテ居ラレルカ大体国民ノ実収ニ対シテ税ヲ課ケルト云フ御方針デアリマスカ、闇ニモ税ヲ御取リニナルト云フ御話ニ伺ツテ居リマスガ御当局トシテハ丸公ニ依ル物ノ流レト闇ニ依ル物ノ流レト大体ドノ程度ノ比率ニナツテ居ルカ又之ニ対シテ実際ドウ云フヤウナ徴税ノ御方針ヲ立テテ居ラレルカ果シテ闇ヲ逃サズニ捕捉出来ルカ此ノ点御説明願ヒマス 池田(勇)政府委員(註、現大蔵大臣池田勇人なり)……次ニ闇、脱税ニ付テドウ云フ方法ヲトツテ居ルカ、斯ウ云フ御話シデゴザイマス、丸公ニ依テ課税標準ヲ決定スルカ、闇モ課税標準ニ入レルカ、コウイウ御質問デゴザイマスルガ闇ヲ課税標準ニ入レルトイフコトハ申上ゲラレマセヌ、又闇ト云フコトガ判カレバ課税標準ニ入レベキデハアリマセヌ、是レハ法律上取締ルベキ行為デアリマシテ斯ウ云フモノヲ課税標準ニ入レルト云フコトハ不適当ト思ヒマス、唯我々ハ実際ノ闇カ丸公カドウカ判ラナイ、兎ニ角総収入金ヨリ必要ナ経費ヲ控除シタ実際ノ所得ニ課税シテ居ルノデアリマス従ツテ結果ト致シマシテハ実体ガ闇デアルヤウナモノガ課税ノ対象ニナツテ居ルコトハ事実デセウ、併シ其ノ闇ガ課税ノ対象ニナツタコトガ司法裁判所ノ判決ニ依リマシテ、コレダケ闇ヲシタト云フ時ニハ課税標準カラ引キマス、是レハ私ハ闇ニ課税シナイ政府ノ方針ヲ堅持シテ居リマスノデ闇デアルカナイカ判ラナイモノニ付キマシテハ実収入主義ニ依ツテ居ルノデアリマスカラ税務署ハ之ニ課税致シテ居リマス……中略……奥村委員 只今原則トシテ丸公ニ対ツテ課税スルノデアツテ、ハツキリ闇ト判レバ之ニ対シテハ課税ヲシナイト云フ御話デアリマス、サウシマスト是レハ非常ニ大キナ問題ニナラウト思ヒマス……池田政府委員政府ガ闇ニ対シテ課税致シマセヌト云フコトハ身近ナ例デ申シマスト掏摸ヤ盗人ノ所得ニ対シテ課税シナイコトト同ジデアリマス……

右に依り、他国に於ては兎に角、我国に於ては統制法違反に依る所得は課税の対象とはせぬ趣旨にて税法が審議せられて居ることは明白である。

原判決は此点に於て法人税法の法意を誤解して居る。世間或は不法行為中に於ても窃盗、強盗の所為に因りては財物の所得者に所有権移転せざるため、その所得は課税対象とならざれども、詐欺に因るものは取消行為のあるまでは権利移転するが故に課税対象となる。統制法違反のものは一応課税対象となり判決に依り統制法違反が確定すれば先の納税額は返還せらるべしなどの説を為すものがある。これは甚だ苦しんだ説明である。前段は税法上の所得ということを以て民法の権利移転に牽連して考へんとする企てであつて税法上の所得観念が経済的のものであることを忘れて居る。(第一点に詳論した)後段刑事判決後の税額返還の如きは税法にその規定なきところに、一新組織を作らんとするものであつて憲法第八十四条の主旨にも反し、到底現行税法の解釈として採用するの価値はない。尚又違法の利得なりや否やは、その行為を統制違反なりとして訴追したる刑事裁判を待たず他の案件(本件の如き)に於ても、その行為が違法なりや否やは判定し得られる筈である。此点に於ても此説には大なる無理あり、到底採用するに値しない。

第五点原判決が旧法人税法第二十一条に基き為したる昭和二十二年十一月二十四日の申告(所謂中間申告)に対し申告を為したる事実のみを以て逋脱犯の既遂段階に達せりとし、之を以て独立の一犯罪(判示第一)と為したのは明かに法人税法第四十八条に違反したるものであり、是亦判決に重大なる影響を及ぼすものである。先づ第一に御留意を乞うべき事は法人税法第四十八条は未遂犯罪を処罰せぬという事である。(刑法第四四条並に取引高税法、関税法等特に未遂を処置する法規と対照を乞う)即ち納税者の行為が逋脱犯の方向に向つて走つて居つても未だ予備段階、未遂段階を出でぬものは逋脱犯としては処罰せられぬ。

第二に御注意を乞いたきは法人の営業はその定款に在る事業年度に依り損益が決定せられることである。縦令、税法上の便宜のため一事業年度を二つに切断しても事業成果は前後を通じて之を計算する。前期に一応の利得を示すも前期未完結の取引其の他で後期に大なる損失が出るかも知れぬ。又其の反対の場合もある。

故に旧法人税法第二十一条は定款所定の年度が六月以上の法人につき一応六月を一区劃として所得の申告を為さしめるが、しかしこれには会社定時総会に依る確定決算に基くものでないからこの申告には確定の効力を与えて居らぬ。

次条乃ち第二十二条に於て、会社の本当の年度経過後、前の一事業年度と看做された期間(中間申告期間)の分をも含めて、確定申告を為さしめる仕組として居る。この確定申告ありて始めて会社の其当該年度の所得に対する納税意思が決定するのである。中間申告や中間納税は実は申告者の決定的納税意思の実行ではなく、政府の国費支出の便宜の為めにする納税者の仮定的先払に過ぎぬ。故に中間納税の過、不足は確定申告、確定納税に依り是正することが出来、又必ず是正せらるべきである。此意味に於て中間申告を暫定申告であるという人もある。かゝる申告、かかる納税であるから、この申告時に其年度の納税の既遂犯ありと為すことは刑法上の不可能事である。仮りに中間申請の直後一定額の逋脱ありとして訴追ありたる後更に六ケ月を経て確定申告を為す際納税者が反省飜意して前の逋脱なりといはるゝ分をも追加補完したる確定申告を為し納税し来らば如何。税務当局は之を其年度の税額として受取らざるを得ぬ。此の意味に於て、旧法に於ても納税者は中間申告は更に確定申告迄の期間に於て之を修正する権利を有したものといわねばならぬ。この修正権の存在する間に於て逋脱犯の既遂は存在し得る筈がない。

貴高等裁判所第十二刑事部昭和二十四年九月十日判決(被告人小久保産業株式会社に対する法人税法違反事件)に於ては「中間申告を為すに当り脱税の目的で不正行為をしても脱税の未遂で租税を逋脱したものということは、出来ない、従つて無罪である」と判決せられたのは極めて健全なる判断である。今裁判所に於いて之を変更せらるゝ必要はない。原判決が右中間申告時に法人税逋脱犯の既遂ありと解したるは違法である。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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